FC2ブログ

日刊知的ぐうたら生活

schazzie clubのホームページを移転しました⇒http://schazzie.wix.com/index
0812345678910111213141516171819202122232425262728293010

NEW アラバマ物語

Harper Lee の 『To Kill A Mockingbird』 (邦題 『アラバマ物語』 )の新しい本が届いた。これまで読んでいたマスマーケット版は文字も小さく、行間も詰まっており、インクがにじんでいて読みにくかったので、毎年読む本だからと、再度購入した。これはトレード版。

1961年に発表されてから、多くの出版社からいろいろな版が出版されてきたが、今でもまだ新しい本が出版され続けており、本当に息の長いベストセラーなんだなと再認識した。日本では一度絶版になったが、復刊。暮らしの手帖社が、初版以来の1000円という価格を守って販売しているのは、特筆に値する。

原書で1961年の初版本を入手するのは無理だろうが、できれば初版のレプリカである40周年記念バージョンが欲しいと、ずっと思っている。またしてもコレクター魂が騒いでしまう。


昨日、デイヴィッド・ファーランドの『大地の王の再来(下)』を読み終えたが、上下巻の常で、話が乗ってくる下巻は一気に進む。それにしても笑える内容だった。大王アーテンはまるで怪物になってるし、美男子が怪物になっていくのは、やはり滑稽としか思えない。だからアクション映画に美男子は似合わないのだ。窮地に陥ったときに、変な顔になるのが滑稽で気がそがれる。

だいたい、<魅力>や<筋力>などと共に、<品格>の「賦与」も大量にされているわけだから、理屈で考えれば、人間を超えた欲望も何もない神のような存在になってもいいはずだが、理屈は作者の都合のいいように作り変えられている。

笑えるくらいだから、面白いと言えば面白いのだが、バカバカしくて笑えるといった類だ。人智を超えた力を持つアーテン大王が、最終的に敵の砦を滅ぼしたのは、なんと何千人もの賦与を受けた<声>によるものだった、つまり叫び声で砦が崩れたということ。だったら、余計な戦いなどいらないだろうに。まったくバカバカしい。

結末もはっきりしたものではなく、これからまだまだ続きますよと、明らかに続編を意識するもので、ここまで読んできてこんな結末?という判然としない思いが残るだけ。

続編を読むかどうかは微妙(日本ではまだ出ていないが)。ぐだぐだ書いてある退屈な説明は、この本の上巻でだいたい終わっていると思うので、あとはテンポ良く進むのだろうという期待はある。しかし「大地の王の再来」というタイトルだが、「再来」したところで終わっているので、実際に大地の王(グボーン)が活躍するのはこれからなのだ。グボーンは、大王アーテンとまだ戦ってもいない。


◆Lemony Snicket <Series of Unfortunate Events> 情報





Series Of Unfortunate Events 12 (Series of Unfortunate Events)/Lemony Snicket (著), Brett Helquist (イラスト)
外貨参考価格: $11.99
価格: ¥1,257 (税込)
OFF: ¥140 (10%)
発送可能時期:ただいま予約受付中です。
ハードカバー: 352 p ; 出版社: Harpercollins Childrens Books ; ISBN: 0064410153 ; (2005/10)

※もうすぐ出版予定のレモニー・スニケット<不幸なできごと>シリーズ12巻目は、まだタイトルがない(予定では10月1日までには出るはず)。例によって行方不明のスニケットだが、上記のサイト「THE NAMELESS NOVEL.com」で、遊びながら情報を知ることができる。



〓〓〓 BOOK

◆Amazon

『To Kill a Mockingbird (Perennial Classics)』/Harper Lee (著) ¥1253
ペーパーバック: 323 p ; 出版社: Perennial ; ISBN: 0060935464 ; (2002/03/05)
Book Description
One of the best-loved stories of all time, To Kill a Mockingbird has earned many distinctions since its original publication in 1960. It won the Pulitzer Prize, has been translated into more than forty languages, sold more than thirty million copies worldwide, and been made into an enormously popular movie. Most recently, librarians across the country gave the book the highest of honors by voting it the best novel of the twentieth century.
【 2005/09/20/18/23/29 (Tue) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

『Above The Thunder』

Renee Manfredi の 『Above The Thunder』 が届いた。あ、そうだ、これ頼んであったっけ、何で買ったんだったかな?という感じなのだが、そうそう、舞台が今年行ったマサチューセッツ州のボストンで、なおかつ初期のイーサン・ケイニンに似ていると書いてあったからだ。

初期のイーサン・ケイニン?それって 『エンペラー・オブ・ジ・エア』(デビュー作 1988年) の頃だよね。というか、最近は医者家業が忙しいのか、2001年の 『Carry Me Across the Water』 以来(作品はこれを入れて全部で5冊出版されている)、新作って出ていないのでは?一体どのあたりまで「初期」と言っているのだろう?

ともあれケイニンは、『宮殿泥棒』 で泣いたほど大好きな作家なのだが、そのケイニンの作品ですら、短編はなかなか1冊読了できない。しばらく前に読み始めた『エンペラー・オブ・ジ・エア』も最後まで読んでいない。翻訳だって『宮殿
【 2005/09/19/23/08/27 (Mon) 】 読書と日常 | TB(-) | CM(-)

ハリケーン被害のトラウマ

ロスに到着したまゆみさんからの新着メールで、彼女のみならず、ハリケーン・カトリーナで被災した人たちが、精神的に大きなトラウマを抱えていることを知った。実は、私もそれを一番心配していたのだ。

最初に連絡が取れたときには、とりあえず無事でよかったと思ったが、次第に精神的にだいじょうぶなのか?という心配が増していた。向こうは避難している最中だから、あまり詳しい事情も聞けないし、私が心配しているだろうと、メールをくれるだけでもありがたかったのだが、目的地につき、ひとまずほっとしたところで、やはり精神的ダメージは深刻だと気づいたに違いないと思う。しかし、こんな風に冷静に語れるのは、当事者ではないからだ。

ロスに到着したからといって、すぐに新しい生活を始められるわけでもない。くぐり抜けてきた地獄の恐怖と、先行きの不安で、誰もかれもが精神的にまいっているようだ。後にしてきたニューオーリンズのこと、この先の生活のこと、果たしてニューオーリンズに帰れるのか、そういった様々なことを考えて、皆一様に意気消沈しているようなのだ。

私は今すぐにでも、ロスに行きたいと思っている。行ったからといって、話を聞くことくらいしかできないのだが、こうしてぬくぬくとしている自分は、何か間違っているような気がしている。どうしても黙って見過ごすことはできない。自分には関係ないと、適当に心配しているだけでなく、あえて難しい状況の中に飛び込まなくてはいけないと感じている。


〓〓〓 BOOK

◆読了した本

『大地の王の再来(上)ルーンロードⅠ』/デイヴィッド・ファーランド (著), 笠井 道子 (翻訳)
単行本: 427 p ; サイズ(cm): 22
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4829175818 ; 1〔上〕 巻 (2005/03/29)
出版社 / 著者からの内容紹介
驚愕のスケールで描く英雄ファンタジー戦記、ついに開幕!全米で600万部の人気ファンタジー小説をついに日本語化。全世界の征服を目指す無敵の超人、世紀末覇王に、若き〈大地の王〉が立ち向かう! しかしその戦いの背後で人類の真の敵が目覚めようとしていた……。

カバーより
<魅力>が失われていく!!
<変成棒>(フォーシブル)から言葉にならない痛みが走った。目を開くと、両手の皮膚が地獄の業火に焼かれたみたいに乾き、ひびわれるのが見えた。手首の欠陥が木の根のように浮き上がり、爪は白墨のようにもろくなった。「これはうそよ。わたしがこんなに醜いはずがない」。<変成棒>は<筋力>や<持久力>といった能力を人から人へ賦与することができる。5人から<筋力>を賦与された者は、巨岩をも持ち上げ、10人の<持久力>をもつものはどんな傷にも耐えられた。さらに国を守るという誓約を認められ、そのために必要な賦与を受けたものは、ルーン卿(ロード)と呼ばれた─。

南方の諸国を次々と制圧し、民衆から数万の賦与を吸い上げた、希代の超人・大王アーテンが、ついに北方の国々にその牙を向けた!数十の賦与を受けた<無敵戦士>や、炎をあやつる炎紡ぎ(フレイムウィーバー)、氷原巨人(フロウス・ジャイアント)などの異種族を率いた大王軍に、北の国々は対抗することができるのか!?
【 2005/09/18/19/30/12 (Sun) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

奇天烈さを追求

昨日、デイヴィッド・ファーランドの『大地の王の再来』はもうダメだと書いたが、無理やり読み進むうちに、この奇天烈さがどこまで行くのか確かめたくなった。主人公の王子グボーン(またどうしてこんな名前なんだろう?)の敵となる、というか全世界の敵、大王アーテンの描写なんて、そのつもりで読むと結構笑える。

やはり昨日も書いたが、「賦与」という、さまざまな能力を他人からもらう技で、大王アーテンは何千人分もの体力、筋力、持久力、声、そして魅力の数々を身につけている。そのため、その姿を見ただけで、あるいは、声を聞いただけで、敵にも関わらずとりこになってしまうといった具合。もはや戦う必要はないというわけだ。ここまでくると、もう馬鹿らしくて笑える。

それほどまでに強力な力を持つ大王に、グボーン王子(どうもカッコ悪い!)は、どうやって立ち向かうのか?魅力も倍増していれば、逆に好色さも倍増しているというアーテン大王に捕らえられた、王女の運命やいかに・・・で、どうなるのよ?と思っていると、いきなり違う場面になってしまって、続きは乞ご期待!というわけだ。

はっきり言って、読み進めるのもバカバカしいのだが、こうなったら、どこまでバカバカしいのか、見極めてやろうという気になる。読了したときに、満足感どころか、あーあ、こんなもの読んじゃったよ!という気持ちになることは必至だとは思うが。

そのアーテン大王、とにかく数百人分の<魅力>を持っているということで、絶世のハンサムらしい。イラストで見ると、アーテンでもグボーン(書くたびに気持ちが沈む)でも、似たようなアゴの尖った細面の顔で、この人に話しかけられても、私は全然平気だなと思うのだが、こういう細面のイラストって、好きな人は好きだよねって感じ。男でも女でも同じようなか細いスタイルで、胸やお尻はどこにあるの?といった絵だ。

私は、昔のSF小説に描かれていたような(例えば 『火星のプリンセス』 とか)グラマラスな絵のほうが好きなので、こういうか細いシルエットの絵には、全く魅力を感じない。そこへもってきて、顔を見ただけで、声を聞いただけでとりこになってしまうと言われてもな・・・。
【 2005/09/17/23/25/02 (Sat) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

<ルーンロード>シリーズ

デイヴィッド・ファーランドの 『大地の王の再来(上)ルーンロードⅠ』 を読書中。冒頭数行で、もうこれはダメと思った。エミリー・ロッダの<ローワン>シリーズよりも対象年齢が高いのはわかるが、それにしても、ぐだぐだと余計な文章が続く。ファンタジー、特に異世界ものは冒頭で入り込めないと、だいたいダメだ。どうでもいいような説明書きで始まるような話は、そこで読みたくなくなる。それでも、まだこれから面白くなるかも・・・とわずかな期待を抱いて読み続けてはいるのだが、だるいなあ、これ。不必要にルビも多いし。

衣服とか生活様式が、ほとんど中世ヨーロッパの感じなのに、いきなり「賦予」とかが出てくる。これはゲームの世界の言葉らしい。他人の能力をもらって強くなるということだ。筋力や持久力、視力、聴力、魅力、叡智などなど、とにかく人の能力を取り込むわけだが、それを差し出した方は、その分その部分が弱まる。筋力なら歩けなくなり、寝たきりになる場合もあるし、視力なら目が見えなくなるといった具合だ。そして「賦与」を受けられるのは、当然ながら力のあるものか、お金持ちに限られる。

話の登場人物は、だいたいが王家に関わりがあるような高貴な人たちばかりだから、ほとんどが自分以外の力を持っていて、誰それは<筋力>を5人分持っているとかという話になる。敵にやられれば、また貧しい者などから「賦予」させるのだ。中には100人分もの「賦与」を受けている者もいる。

この話の問題点は、ここなのだ。普通、人間は一度しか死なない。一度死ねば終わりだ。だから、自分の命も相手の命も大事にしようという気持ちも生まれるわけだが、この話では、力やお金があれば、また生き返ることができる。すでに死んでしまったものは生き返らないが、瀕死の状態なら、「賦与」によって助かることになっている。

これがいかにもゲーム的な感覚で、好きになれない。ゲームでエネルギーを摂取して強くなるのと、基本的には同じだ。この設定が、話に入り込めない大きな要因だと思う。

<魅力>もわけがわからない。3人分の<魅力>を持っていれば、それだけ美しく魅力的になるわけだが、生まれつきはどうだったのか?もちろん、この疑問は登場人物たちも当然持っているわけで、「あの美貌は何人分だな」などと値踏みをして、引き算しながら相手に近づく。

また「賦与」させた相手が死ぬと、その力は消え去り、新しい「賦与」を受けるわけだが、外見的なものも内面的なものもあるから、そういうことが頻繁に行われると、その人物の実体は、何が何だかまるでわからないということになるだろう。

あるいは、力の補給ができなければ、元の自分に戻るわけだから、その人間の社会的評価も価値も下がってしまうというわけだ。もともと自分の力ではないのだから、自業自得とも言えるが。

というわけで、この「賦与」を、当然悪事に使うものもいるわけで、そこで善と悪との戦いということになるのだが、どっちもどっちだよねという感じで、どうでもよくなっている。こうなると、もうファンタジーの域を外れ、完璧にゲーム世代の話だなという感じ。

それはそうと、昨日悩んでいたエミリー・ロッダの<ローワン>シリーズは、結局図書館で借りてしまうことにした。原書を検索 してみたところ、表紙がみなヘビに見えて嫌だったのだ。
【 2005/09/16/23/16/44 (Fri) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

エミリー・ロッダの<ローワン>シリーズ

『ローワンと魔法の地図』を読んだ。あれこれ頭を悩ますこともなく、途中で引っかかりもせず、サクっと久々に楽しく読めた本だった。

剣と魔法もののファンタジーにしては、誰も死なないし、完全な悪役も出てこない。明らかに児童向けではあるが、ストーリーがしっかりしている上に、退屈になりがちな冗長な記述もないため、あっという間に進む。

1巻目は、臆病で弱虫のローワンが、6人の仲間と共に魔の山に向かい、最後にはたった一人でドラゴンと戦って無事に帰ってくるという、ちょっと出来すぎの感もある話だが、どのような過程で、ローワンが自分の中にある勇気に気づくのかということが主題だろうと思う。いざとなれば、やれる子なんだってことだろう。

キャラ的には、仲間の中で一番大柄でたくましいストロング・ジョンというのが好き。彼はローワンの母親に、必ずローワンを連れて戻ると約束したのだ。なんか、シュワちゃんっぽいって感じ。(^^;

ちょっとだけ気になるのは、エミリー・ロッダはフェミニストのようで、物語の中でも男女同等に活躍の場があるということだ。それはそれでいいのだが、危機的な状況での会話に女性の言葉が入ってくると、ヒステリックな感じがして、どうもしっくりこない。訳者はロッダの考えを汲んで、男女がはっきりわかるように訳そうと思ったに違いない。そこにどうも違和感を覚えてしまう。

他のファンタジーと違って、特別な言葉もあまり出てこないし、この程度の内容だったら、むしろ原書で読んだほうがより良いイメージを抱けるだろうと思う。続編も読んでみたいと思っているのだが、原書にするか、翻訳にするか迷い中。翻訳なら図書館に揃っているが、原書のほうが良さそうだなあ・・・と。でも、買うのも面倒だ。翻訳なら目と鼻の先に置いてあるんだし。

などと思いつつ、だらだらと悩んでいる。


〓〓〓 BOOK

◆読了した本

『ローワンと魔法の地図 リンの谷のローワン(1)』/エミリー・ロッダ (著), Emily Rodda (原著), さくま ゆみこ (翻訳), 佐竹 美保 (イラスト)
単行本: 216 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: あすなろ書房 ; ISBN: 475152111X ; (2000/08)
内容(「MARC」データベースより)
リンの谷を流れていた水が止まり、川の水しか飲まない家畜のバクシャーは、日に日に弱ってくる。謎を解くため、少年ローワンは水源のある魔の山に向かうが…。スリル溢れる冒険ファンタジー。


◆Amazon

『Daisy Fay And The Miracle Man』/Fannie Flagg (著) ¥1382
ペーパーバック: 320 p ; 出版社: Ballantine Books (P) ; ISBN: 0345485602 ; (2005/09/13)
Book Description
Here is Fannie Flagg's high-spirited and unabashedly sentimental first novel, the precursor to the bestselling Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe.
Taken from the pages of Daisy Fay Harper's journal, this is a coming of age story set in rural Mississippi that is by turns hilarious and touching. It begins in 1952 when Daisy Fay is a sassy, truth-tellin' but lonely eleven-year old, and ends six years later when she becomes the flamboyant, unlikely -- but assured -- winner of the Miss Mississippi contest. Along the way, we meet some of the raffish and outrageous town locals, including her own Daddy, who comes up with a mortgage scheme that requires Daisy's "resurrection." This is a thoroughly entertaining comic novel with a heroine who is bound to capture your heart.
【 2005/09/15/19/01/38 (Thu) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

ファンタジー三昧

昨日は図書館に予約していた本を取りに行った。ほとんどがファンタジーである。ちょっと重たい本が続いたので、気分転換にはちょうどいいかも。しばらくはファンタジー三昧。

とはいえ、図書館の本を借りるのは一時やめて、自分の本を読むんじゃなかったっけ?という気もするが、予約してあったのだから仕方がない。でも、シリーズものは、気にいれば続編も借りなきゃいけないし・・・。そういえば、今年の「サマー・リーディング」はどこかに行っちゃったみたいだし、「BOOK CLUB」の課題も全然だ。ファンタジーの合間に、幽霊話でも読むかな。

ところで、借りた本の中の1冊 『グリーンノウの子どもたち』 だが、このお話の舞台は、ロンドン近郊にあるマナー・ハウスがモデルになっている。先日、ロンドンに行こうという話の中で、マナー・ハウスのことも出たので、どんなところかな?と。でも、とっても古い所らしいから、きっとお化けも住んでるんだろうな。

それと、ジェフリー・フォードの 『白い果実』 だが、山尾悠子、谷垣暁美、金原瑞人の3人が翻訳しているとある。実際には、谷垣暁美、金原瑞人が訳したものを、山尾悠子がリライトしたということらしい。そういうことならほっとした。金原瑞人の訳ではあまり読みたくない感じだったし。というか、それってありなんだ?と、実は驚いた。超訳みたいなものかな?なんて。

でもそれが可能なら、日本語にするとどうも面白くないというような作品は、みんなリライトすればいいなんてことになるんじゃないだろうか?それありかなあ?でも、面白ければいいのか?リライトしてもらわないと面白くないような訳しかできないってのも情けないような気もするけど、世の中がそれを認めるなら、この先、そういう役割分担制みたいなものも多くなってくるかもしれないなとは思う。


まゆみさんよりメールあり。ロスに到着したとのこと。なんて長い旅路!


〓〓〓 BOOK

◆Amazon

『The Big Book of Su Doku 2』/Mark Huckvale (編さん) ¥939
ペーパーバック: 250 p ; 出版社: Newmarket Pr ; ISBN: 1557047049 ; (2005/09/30)

Amazon.co.jp オリジナルブックカバー(ベージュ) ¥273
(Amazonギフト券 ▲¥273)
ISBN: B0009WHOM6 ; (2005/07/11)
素材:ポリエステルキャンバス
仕様:しおりつき
サイズ:縦 約16cm x 横 約30cm(文庫版サイズ)
【 2005/09/14/23/35/33 (Wed) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

『彼方なる歌に耳を澄ませよ』

アリステア・マクラウドは長編作家である、と私は主張したい。というのも、先に短編集を2冊読み、それから長編の『彼方なる歌に耳を澄ませよ』を読んだところ、収まるべきところに収まるべきものが収まって、やっと落ち着いたという感じがしたからだ。

長編を読みながら、すでにネタ元はわかっているので(短編に書いてあることとほとんど同じだから)、少々飽きてきてもいたのだが、全部通して読んでみると、短編で感じていた不満が長編で解決したのである。

つまり、短編集でバラバラに書かれていたエピソードが、長編では時間の経過と共に整理され、何が誰のエピソードであるのかがわかるようになった。その上で、なるほどそういうことだったのかと納得がいったのだ。そして、短編ではあまり知ることのできなかった兄の存在が、はっきりと見えてきた。

マクラウドの作品のテーマは、すべて大自然の厳しさと一族の歴史といったようなことである。自伝ということでもないので、もとは同じエピソードでも、人や状況を違えて書いてあるのだが、これは短編にあったあの話だなとすぐにわかる。

記憶にあるそうしたいくつものエピソードが、長編で順序良くきちんと並べられ、バラバラのピースがきっちりはまったという感じである。短編では、何か書き足りないのではないかと思っていたのだが、こうしてやっと、マクラウド自身も満足がいったのではないかと思う。

しかし長編とはいえ、ひとつひとつの章は、短編としても通用するようなものだ。おそらくマクラウド自身も、短編のほうが得意であると思っているのだろうが、それを繋げてひとつにまとめたもののほうが、深みも出てきて、より感動的である。彼ら一族の時間の繋がりを描くには、やはり長編のほうがふさわしいように思う。

それにしても、ややこしい話ではある。おじいさん、おばあさんのほかに、おじいちゃん、おばあちゃんがいる。これはおじいさんが言ったことなのか、おじいちゃんが言ったことなのか、訳者でさえも間違えている部分があるくらいだから、読者が混乱するのは無理もない。

女性の名前はあまり重要視されていないようだが、男性の名前は非常に重要だ。父親や祖父の名前を子どもにつけるというのはよくある話だが、小さな島でのことだから、誰も彼も同じ名前だったりして、これは一体どこの誰のこと?ととまどう。

例えば、アレグザンダー・マクドナルドが死に、彼がもらうはずだったシャツを譲り受けたのは、いとこのアレグザンダー・マクドナルドであり、最後にそのシャツを持っていたのは、また別のいとこのアレグザンダー・マクドナルドだったりする。ちなみに、アレグザンダー・マクドナルドとは、アリステア・マクラウドのことであると見ても差しつかえないだろうと思う。

また、クロウン・キャラム・ルーアは一族の有名な先祖であるが、現在では、そこらじゅうにクロウン・キャラム・ルーアがいる。主人公のアレグザンダー・マクドナルドの兄も、キャラムである。「あなたもキャラム・ルーアですか?私もです」といった具合。

主人公が炭鉱で働いているときに、スコットランド人やアイルランド人、フランス系カナダ人などが一緒になって、バイオリンやアコーディオンなどの楽器を演奏し、歌い踊る場面がある。これって、ケイジャン・ミュージックじゃないの?と思い、ちょっと嬉しくなった。

しかし、本の裏表紙に「ユーモア」という文字を見かけたが、私はこの作品にユーモアは全く感じなかった。おじいさんではなく、「おじいちゃん」の言動がおかしいといえばおかしいが、特にユーモアがあるとは思わない。非常に生真面目に書かれており、そこまで書かなくてもいいのにと思うような残酷な場面もある。おそらく、残酷シーンの苦手な人には向かない小説だろう。

この長編で、主人公の兄の存在が見えたと書いたが、この兄の生き様をなぞって初めて、マクラウドの小説の中に、非常に人間らしい感情というものが感じられた。常に自然から受ける運命に身を委ねるしかないような感じであったのが、兄の積極的な感情によって、彼ら一族の中に強さと優しさを感じることができ、それがあることにより、作品が生きてきたように思える。短編では感じられなかったことだ。

そんなわけで、やはりマクラウドは長編のほうがいいと思った次第である。そしてこの長編は、結末は美しいが、とても悲しい。そういう終わり方ができるのも、一族のエピソードを長々と綴り、じっくりと物語を編んできたからこそであると思う。


〓〓〓 BOOK

◆読了した本

『彼方なる歌に耳を澄ませよ』/アリステア・マクラウド (著), 中野 恵津子 (翻訳)
単行本: 343 p ; サイズ(cm): 20
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4105900455 ; (2005/02/26)
出版社 / 著者からの内容紹介
なき人々への思いは、今も私たちを突き動かす。18世紀末、スコットランドからカナダ東端の島に、家族と共に渡った男がいた。勇猛果敢で誇り高いハイランダー(スコットランド高地人)の一族の男である。「赤毛のキャラムの子供たち」と呼ばれる彼の子孫は、幾世代を経ようと、流れるその血を忘れない――人が根をもって生きてゆくことの強さ、またそれゆえの哀しみを、大きな時の流れといとしい記憶を交錯させ描いた、感動のサーガ。


◆図書館

『白い果実』/ジェフリー・フォード (著), Jeffrey Ford (原著), 山尾 悠子 (翻訳), 谷垣 暁美 (翻訳), 金原 瑞人 (翻訳)
単行本: 349 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 国書刊行会 ; ISBN: 4336046379 ; (2004/08)

『大地の王の再来(上)ルーンロードⅠ』/デイヴィッド・ファーランド (著), 笠井 道子 (翻訳)
単行本: 427 p ; サイズ(cm): 22
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4829175818 ; 1〔上〕 巻 (2005/03/29)
出版社 / 著者からの内容紹介
驚愕のスケールで描く英雄ファンタジー戦記、ついに開幕!全米で600万部の人気ファンタジー小説をついに日本語化。全世界の征服を目指す無敵の超人、世紀末覇王に、若き〈大地の王〉が立ち向かう! しかしその戦いの背後で人類の真の敵が目覚めようとしていた……。

『大地の王の再来(下)ルーンロードⅠ』/デイヴィッド・ファーランド (著), 笠井 道子 (翻訳)
単行本: 395 p ; サイズ(cm): 22
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4829175826 ; 1〔下〕 巻 (2005/03/29)
出版社 / 著者からの内容紹介
〈大地の王〉に選ばれた王子が世界を救う……!!
伝説の〈大地の王〉となったグボーン王子は、大王アーテンの魔の手よりからくも脱出した。しかし大王の軍勢は、父オーデン王の持つロングモット要塞に迫っていた……! ハリウッドにて映画化も進行中。

『ローワンと魔法の地図 リンの谷のローワン(1)』/エミリー・ロッダ (著), Emily Rodda (原著), さくま ゆみこ (翻訳), 佐竹 美保 (イラスト)
単行本: 216 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: あすなろ書房 ; ISBN: 475152111X ; (2000/08)
内容(「MARC」データベースより)
リンの谷を流れていた水が止まり、川の水しか飲まない家畜のバクシャーは、日に日に弱ってくる。謎を解くため、少年ローワンは水源のある魔の山に向かうが…。スリル溢れる冒険ファンタジー。

『ツバメ号とアマゾン号 アーサー・ランサム全集 (1)』/アーサー・ランサム (著), 岩田 欣三 (翻訳), 神宮 輝夫 (翻訳)
単行本: 487 p ; サイズ(cm): 23
出版社: 岩波書店 ; ISBN: 400115031X ; (1967/06)

『グリーン・ノウの子どもたち 児童図書館・文学の部屋 グリーン・ノウ物語(1)』/L.M.ボストン (著), 亀井 俊介 (翻訳)
単行本: 254 p ; サイズ(cm): 21
出版社: 評論社 ; ISBN: 4566010007 ; (1972/01)
【 2005/09/13/23/04/59 (Tue) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

カマス日和

いしいしんじの『ポーの話』は、これまでの見方をちょっと変えざるを得ない本だった。今まで、いしいしんじの作品は、子どもが読んでも面白い話、わかる話だと思っていたが、今回の長編は、一見これまでと変わらないようにも見えるが、行間を読むと結構深い話で、これは完全に大人向けではないかと思える。

しかも、その行間というか何と言うか、文字にせずに暗に物事を言及する書き方とか、話の区切り方とかが、格段に上手くなっているように思える。スタインベックなみだ。というのは、ちょっと褒めすぎか?

例の、わけのわからない不思議な記述もますます冴えており、「今日はカマス日和ですね」なんて、何なのよ?と思いながらも、変に納得してしまう。サンマ日和とか、マグロ日和とかにせず、「カマス日和」とするあたりが心憎い。

それと、いつの時代ともどこの国ともわからない設定ではあるものの、けして昔の話ではないのに、なぜか懐かしい。かといって、現代の若者っぽい言葉遣いがないのも喜ばしい。とてもていねいに書かれている感じがするので、読むほうも、一気読みができない。

今のところ、いしいしんじは善しか描いていないのだが(それもとびきり美しい善である)、それが押し付けがましくないのも好感が持てるし、善を描くことが彼の作品の特徴なのだろうと思う。どんなに厳しい状況で、とても貧乏でも、自分の身の上を淡々と生き、無意識のうちに人を思いやっている彼の主人公たちが、私は全部好きである。

だが彼の作品は、どれもけして明るい作品ではない。どこかに「自己犠牲」の精神があるためか、なにやら哀感が漂う。しかし、どの作品にも必ず救いがあり、希望も見える。ただひたすら暗いわけではないのだ。

今日もカマス日和です。


〓〓〓 BOOK

◆読了した本

『ポーの話』/いしい しんじ (著)
単行本: 435 p ; サイズ(cm): 20
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4104363014 ; (2005/05/28)
出版社 / 著者からの内容紹介
無数の橋が架かる泥の川。その流れにのせて運ばれる少年ポーの物語。いしいしんじは、とうとうこんな高みにまで到達してしまった!待望の書下ろし長篇。
【 2005/09/12/23/13/57 (Mon) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)

『ポーの話』

いしいしんじの 『ポーの話』 を読んでいたら、主人公ポー(うなぎ女の子ども)の住む町の泥川が大雨で氾濫し、町の大部分が冠水。何もかも泥水に流され、人間も動物もたくさん死んだ。生き残った人たちは、冠水していない缶詰工場に避難し・・・というような部分があって、まさにハリケーン・カトリーナの記事を読んでいるかのような気持ちになってしまった。この本は今年の5月末頃に出版されたものだが、まるでカトリーナの被害を予測して書かれているかのような記述だ。

それだけこういう災害は、大昔から人類には馴染みのあるものなのだろうけれど、問題は、超大国となった政府の対応の仕方だ。台風が過ぎていったあとの記事を読んでいると、憤りを感じるものがたくさんある。自分さえよければ・・・人間は、結局そういう生き物なのだとがっかりする。

そういえば、昔ニューオーリンズのタイトルがついた小説を読んだことがあるなと思い出した。その時は、南部についてなど何も知らない状態だったので、ニューオーリンズだろうが、ニューヨークだろうが、どうでもよかったのだが、今なら違いがわかるかもと、積み重ねた本の山を崩して、ようやく探し出した。Heather Graham Pozzessere の 『Down in New Orleans』 だ。もう一度読んでみようと思う。

それと、 『アンクル・トムの小屋』の原書 も見つけ出した。黒人の会話部分が、原書でも南部訛りで書かれていたら、このまま翻訳で読もうと思ったが、冒頭を見た限りでは、そういうこともないようだ。普通の文章で書かれている。これは原書で読むべきだ。

訳すほうは、普通の文章をわざわざ東北弁にしているわけで、白人と黒人奴隷の違いを出すためにそうしているのだろうが、「立場の違い=東北弁」というのは、あまりにも既成概念に囚われすぎているのではないかと思う。「トム・ソーヤー」でも「ハックルベリ・フィン」でも同様の問題があって、いまだに翻訳ではこれというものが見つからない(訳されたものを全部読んだわけではないけれど)。

しかし実際、この本を読み進む気にならないのは、黒人の会話が東北弁だからということだけではない。このことは、いくら嫌だと思っても、だいたいがそうなってしまう。それとは別に、やはり全体的に変なのだと思う。テンポのいい自然な日本語ではないような気がする。読んでいて疲れるのだ。

ところで、選挙は自民圧勝だったのだが、強い危機感を感じるのは、私だけだろうか?
【 2005/09/11/23/18/57 (Sun) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)