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日刊知的ぐうたら生活

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月別アーカイブ  【 2005年09月 】 

『ポーの話』

いしいしんじの 『ポーの話』 を読んでいたら、主人公ポー(うなぎ女の子ども)の住む町の泥川が大雨で氾濫し、町の大部分が冠水。何もかも泥水に流され、人間も動物もたくさん死んだ。生き残った人たちは、冠水していない缶詰工場に避難し・・・というような部分があって、まさにハリケーン・カトリーナの記事を読んでいるかのような気持ちになってしまった。この本は今年の5月末頃に出版されたものだが、まるでカトリーナの被害を予測して書かれているかのような記述だ。

それだけこういう災害は、大昔から人類には馴染みのあるものなのだろうけれど、問題は、超大国となった政府の対応の仕方だ。台風が過ぎていったあとの記事を読んでいると、憤りを感じるものがたくさんある。自分さえよければ・・・人間は、結局そういう生き物なのだとがっかりする。

そういえば、昔ニューオーリンズのタイトルがついた小説を読んだことがあるなと思い出した。その時は、南部についてなど何も知らない状態だったので、ニューオーリンズだろうが、ニューヨークだろうが、どうでもよかったのだが、今なら違いがわかるかもと、積み重ねた本の山を崩して、ようやく探し出した。Heather Graham Pozzessere の 『Down in New Orleans』 だ。もう一度読んでみようと思う。

それと、 『アンクル・トムの小屋』の原書 も見つけ出した。黒人の会話部分が、原書でも南部訛りで書かれていたら、このまま翻訳で読もうと思ったが、冒頭を見た限りでは、そういうこともないようだ。普通の文章で書かれている。これは原書で読むべきだ。

訳すほうは、普通の文章をわざわざ東北弁にしているわけで、白人と黒人奴隷の違いを出すためにそうしているのだろうが、「立場の違い=東北弁」というのは、あまりにも既成概念に囚われすぎているのではないかと思う。「トム・ソーヤー」でも「ハックルベリ・フィン」でも同様の問題があって、いまだに翻訳ではこれというものが見つからない(訳されたものを全部読んだわけではないけれど)。

しかし実際、この本を読み進む気にならないのは、黒人の会話が東北弁だからということだけではない。このことは、いくら嫌だと思っても、だいたいがそうなってしまう。それとは別に、やはり全体的に変なのだと思う。テンポのいい自然な日本語ではないような気がする。読んでいて疲れるのだ。

ところで、選挙は自民圧勝だったのだが、強い危機感を感じるのは、私だけだろうか?
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【 2005/09/11/23/18/57 (Sun) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)