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[覚書]これからの民主主義

「暮らしの手帖」のカリスマ編集長だった花森安治は平易な言葉で語りかける思想家であった。

「ぼくらの暮しを、まもってくれるものは、だれもいないのです。ぼくらの暮しは、けっきょく、ぼくらがまもるより外にないのです。考えたら、あたりまえのことでした」

武器や夜警で守るのではむろんない。よりましな政治を選び取ることで。よくない政治には異議を申し立てることで。語録に収められた短文からはそんな含意が読み取れる。

昨年来、安保法(案)に反対して国会議事堂を囲んだ人にも、同じような気づきがあったはずだ。

「勝手に決めるな」と叫び、「民主主義って何だ」とコールした。何度か足を運んだが、呼号は、反論をさげすみ、言葉を尽くそうとしない安倍政権への怒りのように響いていた。

対立する主張のいずれに理があるかを、国民の前で言葉で競う。それが近代政治だら、安倍政権はあるべき姿からはずいぶん遠い。はぐらかし。根拠を欠く断言。口だけで実行の伴わない「丁寧な説明」。質問への悪態──。国会の内で外で、思い浮かぶだけでも十指では足りない。

多数派が決めて、少数派はただ従えばいい。白黒つけよう、勝ちか負けか、が民主主義ではあるまい。それではいさかいと分断を生むばかりだ。

かつての英首相アトリーは民主主義の基礎を、「他の人が自分より賢いかも知れないと考える心の用意です」と述べた。異なる意見への謙虚や寛容、柔軟性を失っては、多数者の専横を生み、民主主義というシステムは無残な姿をさらすことになる。

民主主義は、意見を異にするものどうしが、それでも肩を組んで歩こうという仕組みのはずである。

そうした互いの対話も熟議も説得も、すべては言葉で行われる。数をたのむ政治の、言葉への怠惰や横着にならされるのは怖い。野党もまた、常套句を手あかのついた論理で連結してみせただけの政治批判が、ずいぶんと多くはないか。

ゆくゆく憲法をめぐる国民投票ともなれば、この国の社会にかつてない分断のくさびが打ち込まれるかもしれない。民主主義を磨き込んできたはずの英国が陥った混乱は、ひとごとではなくなっている。

そのとき私たちの民主主義は真に試されることになろう。その水域に、いまや入ったようである。

排外的なナショナリズム。ポピュリズムへの喝采。世界を見ればあれやこれやが台頭し、政治と社会の秩序は揺らぐ。

「さて ぼくらは もう一度・・・錆びついている<民主主義>を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め しっかり 組み立てる」。これも花森の残していった言葉だ。こんな時代だから胸に畳みたい。

──7/16 朝日新聞「これからの民主主義(4)政治に言葉を求めよう」(編集委員・福島申二)より
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【 2016/07/16/18/37/56 (Sat) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)
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