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日刊知的ぐうたら生活

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「ねじの回転」

昨日、ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」を読み終えた。クリスマスものと思っていたのだが、実際はクリスマス・イヴに語られた話というだけで、中身は全然クリスマスには関係なかった。

有名な幽霊話と聞いていたが、訳者あとがきを読むと、本当に幽霊が出たのだと解釈する人と、あれは語り手の女教師の妄想だとする人がいるらしい。たしかに、あの女教師はちょっとヒステリックだなと思う。

でも、私は普段からホラーやゴシック小説を読んでいるので、幽霊の話が荒唐無稽だとも思わないし、見える人には見えるのよねと思うから、実際に出たのだろうと思って読んでいた。

ただその幽霊2体が、なぜ出てくるのか、それがちょっとよくわからない。女教師が教えている子どもたちのところに出てくるわけだが、だからといって、アン・ライスの幽霊のように、何か実際に影響があるのか?というと、そういうわけでもなく、ただ女教師が幽霊を邪悪であるとするばかりなのだ。

女教師は、子どもを邪悪に寄せ付けないために、幽霊を撃退しようとしたのだろうか?子どもはけして純真無垢なものではなく、大人よりも残酷な邪悪さを持っていると思っているので、その幽霊のために、学校を退学させられるほどの「悪い子」になったとは思えない。

あまり強調されてはいないが、身寄りのない子どもたちを引き取っている伯父さんの不在が、子どもたちに寂しさを感じさせ、自分たちを気にかけてくれる人間(のちに幽霊になる)に、親しみを感じていたのだろうと思う。つまり、愛情に飢えた子どもたちの精神状態なども描かれていたのだろうと考える。

印象としては、先にあげたアン・ライスや、『嵐が丘』などのゴシック小説のような感じを受け、たぶんこの時代の幽霊話とは、だいたいこんな感じなのだろうなと思ったが、この小説では幽霊たちは何の悪さもしていないのだから、はなから邪悪な存在と決め付けるのはどうなんだろう?と思う。

しかし、そんなふうな決め付けをしてしまった女教師の、雇い主に対する恋心というものまで解釈されている。批評家たちというのは、考えなくてもいいことまで考えるらしい。確かに、お金持ちでハンサムな雇い主ならば、恋心も抱いたかもしれない。しかし、素直に、単なる幽霊話と受け取ってはいけないのか?いわゆるホラー小説として読んではダメなんだろうか?と思った。

実際に幽霊が出たにしても、あるいは女教師の妄想にすぎなかったとしても、サイコものとして、十分ホラー小説ではないか。「ヘンリー・ジェイムズの曖昧性」とか何とか説明がされているが、何か大きな意味があるのだろうか?と勘ぐるから曖昧なのだ。ホラー小説だとして読めば、こういうものだと収まるだろう。

幽霊話で、きっちり理屈で説明がつくようなものには、いまだにお目にかかったことがないし、これは幽霊話だと最初に言っているのだから、そう思って読めばいいんじゃないかなと思う。

これはものすごく怖い話だと聞いていたが、私にとって怖かったのは、幽霊ではなくヒステリックな女教師のほうだったとも言える。
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【 2005/12/23/23/34/53 (Fri) 】 読書と日常 | TB(0) | CM(0)
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